大判例

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東京高等裁判所 昭和47年(ツ)23号 判決 1972年9月22日

上告人 小野誠一郎

被上告人 森下美佐子

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告の趣旨は、原判決を破棄し、本件を東京地方裁判所に差戻す旨の判決を求めるというにあり、その理由は別紙の通りである。

上告理由一について

原判決挙示の証拠によれば、原判決認定の事実を認めることができ、該事実によればその認定の改定賃料はいずれも相当と認められる(本件は賃料がとくに低額に定められていたが、後にその事由が消滅した場合の事案であるが、上告人挙示の判決はこのような事案に関するものではなく、かつ、時代も隔たつており、本件に適切でない)。論旨は原審が適法にした事実認定を批難するに帰し、理由がない。

同二について

上告人の昭和四六年三月三〇日付準備書面によれば、上告人が、被上告人は昭和四〇年八月一九日末広興業に本件土地を譲渡し、同日本件土地の賃貸人の地位を失つたから、昭和四四年二月および同年五月の賃料増額の請求はいずれも無効である旨主張する趣旨であることがうかがわれるから、原判決が、被上告人が末広興業に本件土地を譲渡し、昭和四四年七月一四日その旨の登記がされ、同日本件土地の賃貸借上の権利義務を同社が被上告人から承継したことは当事者間に争がない旨説示したことは妥当でないけれども、右譲渡、登記の点は当事者間に争がないところ、不動産の賃貸人がその所有権を第三者に移転しても、賃借人が右移転を承認する等、特別の事情のない限り、その移転登記を経るまでは、第三者は賃貸人の地位を取得したことを賃借人に対し主張し得ず、旧所有者は賃貸人の地位を失わないものと解すべきであるから、本件土地の所有権移転登記が完了した時期にその賃貸人の地位の承継があつたものと解した原判決は結局正当であり、論旨は理由がない(上告人挙示の判決は、登記の有無が問題になつていない事案に関するものであるから、本件に適切でない)。

同三について

賃料増額の請求は、賃貸人の一方的意思表示であり、賃貸人は請求した時点で増額されうる賃料額の限度まで賃料を増額しうるのであるから、増額請求の額が右限度に達しない場合は、賃料の額が当事者間の合意で定められた場合と異なり、特に右限度以下の額まで増額するにとどめ、以後さらに賃料増額の条件がみたされるまでは増額の請求をしない旨表示していない限り、新たに増額の条件が具備しなくても、右限度までは重ねて増額の請求をすることができるものと解するのが相当である(上告人挙示の判決は賃料増額の協定成立後の増額請求に関するものであるから、本件に適切でない)。従つて、昭和四四年二月の増額請求撤回の有無にかかわらず、同年五月の増額請求は有効と解すべきであるから、これを有効と認めた原審の判断は結局正当であり、論旨は理由がない。

同四について

上告人の昭和四五年一〇月五日付準備書面は原審口頭弁論期日において陳述されていないが、右準備書面記載の慣習の存在を立証するため、上告代理人が提出した昭和四六年一月一八日付鑑定申請書記載の鑑定も口頭弁論期日において申請されておらず(右申請書に貼用された印紙には消印がされておらず、右申請書には、印紙貼用不要につき消印しない旨の符箋がつけられている)、かつ、上告代理人が原審最終口頭弁論期日において、他に主張立証はない旨陳述しているところからみれば、上告代理人は、右準備書面記載の主張は主張しないこととして、これを陳述しなかつたものと認められるから、原審が右主張について判断しなかつたのは当然であり、論旨は理由がない。

よつて、民事訴訟法第四〇一条、第九五条、第八九条に従い、主文のように判決する。

(裁判官 近藤完爾 田嶋重徳 吉江清景)

(別紙)上告理由

一、上告人は被上告人の反訴請求に対し、昭和四十年七月当時の本件土地の賃料は一ケ月三・三平方メートル当り金十四円迄承認する旨を主張したが(原判決及第一審の判決御参照)、原審は三・三平方メートル当り一ケ月金七円に数倍する金三十八円及び金八十円の急激な賃料増額を認めたのは借地法第十二条の趣旨に違反する不法な裁判である(大判昭一〇・一〇・二九判決新聞三九〇九号一五頁)。右判決は借地法第一二条に関し賃料が従来特に低額であつても其の関係を考慮し急激な増減をさくべく、純客観的なる相当賃料価格を専ら標準とし、之に依り増減を許した趣旨でない事を明示している。其主意とする所は賃料の如きは社会的性質を有するものであるから、借地法第十二条は之に該当する場合に於ても急激な増減を許さない法意と解したものと考えられる。

二、被上告人の反訴請求は、本件土地に関し一ケ月三・三平方メートル当り昭和四十年七月十六日金三十八円、昭和四十四年五月八日金八十円の値上請求をした事を理由とし、右金額の賃料確認を求める趣旨である事は一件記録に依り明かである。

上告人は原審に於て右主張に対し被上告人は本件土地を昭和四十年八月十九日訴外末広興業株式会社に譲渡し、昭和四十四年七月十四日所有権移転登記をし、本件土地の権利義務は前記会社に承継されたものであるから、被上告人は賃貸人たる地位を失い、前記昭和四十四年五月八日の賃料値上は不当なる旨を抗弁し、証拠として甲五号証を提出した(昭和四十六年三月三十日付準備書面御参照、尚、同書面中被上告人の値上請求の時期を昭和四十五年五月八日と記載あるは昭和四十四年五月八日の誤記である事は被上告人の主張及び本件訴訟記録に依り明かである)。そして、被上告人は甲五号証を認め、右売買の事実を認めた事は原判決の認定した所である。民法第百七十七条に依れば、不動産に関する所有権の移転は意思表示のみに依り効力を生じ、登記は単に第三者に対する対抗要件に過ぎないのであるから、本件土地所有権は昭和四十年八月十九日被上告人より訴外末広興業株式会社に移転し、近時の学説判例に依れば、同時に被上告人は賃貸人の地位を失い(中川、兼子「借地借家」八二頁、昭和三十五年(オ)第五九六号同三十九年八月二十八日最高裁判決、最高裁判例解説昭和三十九年七五号事件、森調査官解説御参照)、其後にした賃料値上の請求が無効である事は明かである。然るに、原審が前記登記の日時即ち昭和四十四年七月十四日、本件賃貸借上の権利義務を前記会社が被上告人から承継した事は当事者間に争いがないとし、被上告人の請求を認容したのは左記の如き不法ある裁判で破毀さるべきものと信ずる。

前記準備書面に依れば、昭和四十四年七月十四日登記の日に本件賃貸借が承継されたとの記載はない。仮に右の如く解釈されるとするも、所有権移転に依る賃貸人の地位の移転が所有権移転の日であるか、移転登記の日であるかは純然たる法律問題であつて、当事者の見解如何に拘らず、裁判所が判断すべき事項であるに拘らず、昭和四十年八月十九日本件土地所有権が譲渡された旨の上告人の主張事実に付何等の説明及び法律上の判断を与えなかつた原判決は不法の誹を免れないものと考える。

尚、本問に関しては、前記森調査官の詳細な解説があるが、左に卑見を述べ、参考に供する。

旧判例は二重売買を想定し、之を立論の根拠としているが、理由に乏しいものと考えられる。

所有者が所有権を譲渡する場合、之に伴う賃貸人たる地位を失うことは大正十年(オ)第二六号事件の判例に依り明かであつて、真理は二重売買の場合も同様で所有者は売買に依り賃貸人たる地位を失い、爾後賃貸借上の何等の権利も有しない。又二重売買の場合、賃借人は、所有権移転登記未了の間は、賃借物件の譲受人甲に対しても、又乙に対しても、其確認する譲受人に対し賃料の支払を為せば足り、其の支払の有効である事は甲又は乙は前記登記を為す事に依り始めて以後賃借人に対し賃貸人たる地位を対抗し得るのであって、其前に於ては右地位を賃借人に対抗し得ないから、賃借人は賃料の二重払の不利益を蒙る惧れはないからである。但し、登記後は登記名義人である譲受人に賃料の支払を為すべきは当然で二重売買を想定する旧判例の理由は薄弱と考えられる。

三、上告人は、前記反訴請求に係る三・三平方メートル当り金四十五円の値上請求と金八十円の値上請求とは僅か三ケ月の期間を存するもので、斯る短期間の値上請求は無効である旨を主張した(大判昭七、八、一七日判決御参照)。之に対し被上告人は、右金四十五円の値上請求は昭和四十四年五月八日口頭弁論期日に於て撤回し、上告人は異議を述べなかつたから、右撤回は有効である旨を主張した。上告人は右撤回に対し之を否認し、賃料値上請求権は形成権であり、其行使は一方的に実体法上の法律効果を生ずるのであるから、前記被上告人の昭和四十四年二月十日口頭弁論期日に於て為した前記四十五円の値上請求が正当で、既に実体法上の効果を生じたとすれば、共後被上告人が訟廷に於て撤回の主張をし、上告人が之を黙過したとしても、実体法上発生した法律効果を消滅させるものでない旨を反論した。

思うに、訴訟上の行為は訴訟法上の効力を生ずると共に実体法上の効力を生ずる場合があり(例えば、裁判上為したる契約解除の意思表示、和解等)、本件の如きも之に類するもので、裁判上撤回の意思表示をするも、単に訴訟上の請求を放棄するとの意味を有するに止まり、実体法上発生した法律効果に影響するものでないと思われる。契約成立後当事者の一方が撤回の意思表示を為し、相手方がこれを黙過し、直ちに異議を申立てなかつたとしても、契約の取消を承認したものと解すべきでない事は明らかである。直ちに反対の意思を表明せず黙止して居れば、法律効果は消滅するとの法則は、特別の規定の存する場合を除き、存在しないのである。本件の場合も之と同様であり、上告人は前記準備書面に依り右の如き主張を為したるに拘らず、之に対し何等説明判断を与えず、上告人の前記主張を排斥した原判決は不法であり、破毀を免れないものと信ずる。

四、上告人は原審に於て地代の値上げは漸進的に行わるべき慣習があり、本件賃貸借は右慣習に基き為された旨を民法第九十二条を引用して説明し、急激な値上げは約旨に反し不当なる旨を述べた準備書面を提出した(昭和四十五年十月五日付準備書面御参照)。然るに、原審が此点に関し何等の説明を与えず、前記法令を無視して被上告人の請求を認めたのは不法である。

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